フクザツな人体

ふたたびルーベンスです。
これまでに見てきた方法で、<サムソンの上半身>を模写をしてみましょう。

rubens_detail_step1 rubens_detail_step2
「茶色」の紙をベースとします。これより濃いトーン(主にシャドウ)を「焦げ茶」で描きました。

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その上にベースより明るい明部のトーン「肌色2色」+ハイライト「白」にてボリュームを表現しました。(右画像クリックで拡大)
上の模写に使った色数は紙の色も含めて5色です。これらの色は「混色」されるのではなく、画面の上で層状に重なっています。

「描けば描くほど絵が気持ち悪くなる」とお悩みのアナタ!
表面上見える色を直接塗ろう(これはダイレクトペインティングまたはアラプリマと呼ばれます)とするのではなく、固有色→シャドウ→明部(+ハイライト)と、
光の現象ごとに分けて描くことをお勧めします。
階調豊かなグラデーションをパレットの上で作り出すのではない
ところがポイントです。あえて色数を制限し、ひとつひとつのプロセスを理解しながら進むことで結果としてフクザツな表現が出来るようになります。
そしていつかまたダイレクトペインティングに戻ったら良いじゃないですか。


ところで、実はルーベンスは「油彩画」に関してはこのようには描いていません。
ですが、前回アップした彼の素描に見られるような訓練が、彼の「モノの見方」のベースになっていると思われます。


巨匠の目


ここでルーベンスの素描を見てみましょう。
女性の少し見下げた目線、胸に当てた手が憂いのある雰囲気をうまく演出しています。
必要最小限の仕事で最大の効果を上げる、シンプルで素晴らしい素描です。

作画の手順を見てみましょう:
1. 紙全体がインクで予め茶色に着色されている。これがすべてのベース色となる。
2. ベース色より暗い部分を黒&赤チョークにて描写。

3. ベース色より明るい部分に白チョークのハイライトを入れる。(顔や手の一部)

rubens_drawing ルーベンス”Young Woman Looking Down” 1628

ここでベース色と呼んだものは「固有色」と置き換えることが出来ます。
ベース色は紙全体にほぼ均一についているので、厳密にはそれぞれのモノ(例えば衣服や背景)に固有の色を表している訳ではないのですが、西洋絵画で長い間受け継がれてきた「モノの見方」を示しています。

これまで述べてきました、
固有色、シャドウ、明部(+ハイライト)の仕組みを理解することで驚くほど短時間にデッサンを仕上げることが可能になります。
「理屈なんかメンドウ・・・」「見える通りに描けば良いじゃん・・・」
その通りかも知れません。
ですが
・「光のしわざ」を理解することで自分の狙う表現に必要な要素だけを選択できるようになる。
・自分の「知っていること(=思い込み)」と「目の前のモノの見え方」が食い違うとき、理屈を知っていると安心して
「目の前の見え方」を受け入れることができるようになる。
・ベース色との比較でトーンを組み立てるので
ミスを少なくできる
といったメリットはとても大きいものです。

光のしわざ(ハイライト)

ここでハイライトについて説明します。
これです。
hilight-photo

明部のトーン変化(グラデーション)やシャドウの分布は

1.「光源」
2.「モチーフ」

の2者の関係で決まります。
ここでは「私」の位置は無関係です。視点を変えると、当然モチーフの見え方は変わりますが、モチーフの上のシャドウの形が変わったりはしません。
これに対し、ハイライトは

3.「自分の目の位置」
も関係してきます。上の3要素の関係によってモチーフの表面をずるずる動く不安定な存在です。

direct_refkection
ハイライトが見えるのは、光源からの光の入射角と、目に向かう反射角が等しくなるところです。
明部の固有色が光の乱反射であったのに対し、ハイライトは直接反射です。物理的に異なる現象なのです。
direct_refkection_2


ハイライトの性質:
1. 明部に現れる(明暗境界線を越えてシャドウに侵入することはない)
2. 自分が動くとハイライトも動く(明部のトーンやシャドウの分布は変わらない)
3. ツルツルした表面上に現れやすい(ざらついたマットなものモノにはほとんど現れない)
4. 凸型のところに現れやすい(ミラーボールのように光源をとらえやすい)

このように「ハイライト」と、前回説明した「明部」の一番明るいa面は 別物 なのですが、両者を同一視しているケースが多いのです。
ハイライトは描写しなくてもモノの立体表現はできます。むしろ最初はハイライトを無視して「明部」のトーン変化を観察することを覚えましょう。

光のしわざ(明部)

モノのボリュームや質感の表現の「勝負どころ」がこの明部です。
シャドウは静かな「夜の世界」ですから、あまり大きなトーン変化は「騒がしい!」と苦情が出ます。シャドウではムキになって立体感を出そうとしなくても良いのです。

明部の「ある面」の
明るさを決める要素は3つあります。

1. 固有色         ・・・白いモノほど明るい
2. 光源からの距離     ・・・光源に近いほど明るい
3. 光源に対する面の角度  ・・・光源に対して正面を向くほど明るい
lightness

これらの要素の組み合わせでその面の明るさが決まります。

明部のボリューム表現の手順
1. そのモチーフの明部で一番明るいa面がどこかを突き止める。
2. そのa面からシャドウに至るまでのトーン変化を段階的につける。
(面が光源に対して顔をそむけるほど暗くなり、光が届かなくなるまで完全に顔をそむけるとその面はシャドウに入る。)
3. ハイライトをつける(後述)

the-lightest-part
これら一連の描写を「固有色」のベースの上に行うことになります。

光のしわざ(シャドウ)

シャドウは光源からの光が何かに遮られて届かない「空間」です。
下図の球を地球だとすると、
A:明部 =「昼」
B:シャドウ =「夜」

昼と夜では「夜の方がなんとなく暗い」という程度の差ではすみませんよね。そもそも世界がまったく違うように感じられるはずです。


T: 明暗境界線
といい、昼と夜を分ける重要なものです。パラソルの「ふち」のようにも見えます。ここから先は闇の世界ですよ、と。

shadow  parasol
明暗境界線は見る角度によってカーブの具合が変わったり、直線状に見えたりします。月の満ち欠けと同じです。ちなみに天文学用語で「ターミネータTerminator」と呼びます。
「ターミネータ」がどこに、どんなカタチであるかを注意深く観察し、モチーフを明部とシャドウに分けます。シャドウにトーンをつけるとき、「私はいま、シャドウを描いている〜」と意識してください。
今つけているトーンは「固有色ですか?」それとも「シャドウですか?」 


「反射光」
ところで実際の球を観察すると、シャドウは夜と呼ぶにはかなり明るいように思えます。
それは「反射光」の影響によるものです。
reflection   sphere
床や周りにあるモノ、大気中のちりや水蒸気などもシャドウ空間にも光をはね返します。
私たちの日常ではたいていこの反射光があるためにシャドウの中の様子が見えますが、周りに何もないと(例えば宇宙のようにスカスカだと)シャドウは真っ黒になります。

m991228s

球は「光源からの直接光」と「反射光」のサンドイッチ状態にあり、そのせいでシャドウの明暗境界線付近が周囲より暗く帯状の「シミ」のように見えるのです。


光のしわざ(固有色)


これまでトーンの基本となる3つの要素、「固有色」「シャドウ」「明部」を挙げましたが、これらを光の挙動といった物理的な側面から考察してみます。

「固有色」とはそもそも何でしょう?
ふだん当たり前に目に写る「モノ色」は
光の乱反射によるものです。

rundom_reflection
一見なめらかに見えるリンゴの表面も実は細かい凹凸があります。そこで光はあらゆる方向にはね返されますが、この乱反射のなかにそのモノがはね返す特定の色(=固有色)が含まれています。
このため、「リンゴの赤」は「どこからも」見えるのです。

明部

明部=光源からの「光が届いている場所」

固有色を付けただけの段階ではフラットに見えていた明部のボリュームをここで出します。
やり方は2通りあります。
1. 固有色のベースを消しとって紙の白さを回復する
2. 白いチョークで固有色のベースの上に描き加える

この明部の中にひときわ明るい「ハイライト」と呼ばれるスポットがあります。

apple_highlight_web
このように固有色のベースを基準にして暗い方向(シャドウ)、明るい方向(明部)に描き進めることで、デッサンの効率が上がります。
もしシャドウが暗すぎると感じる場合は、シャドウに反射光による明るさを加えてひとまず完成です。

シャドウ


シャドウ=光源からの「光が届かない場所」

シャドウをモチーフに張り付いた「黒いシミ」だと思っていませんか?
たしかにデッサンする過程ではシャドウ部に黒っぽい色をすり付けるのでそう錯覚しても仕方がないのです。
シャドウは
「光源からの光が直接届かない場所」です。
光源がなければ「すべてがシャドウの中に埋没」します。
当たり前だって? そう思えるならいいのですが。

apple_shadow_web
固有色のベースの上にシャドウを重ねます。なんとなく画面全体が沈んでみえますがここはガマンです。
シャドウにはカタチがあります。濃い薄いの濃度の問題よりもまず「どこに?」「どんなカタチで?」を観察することが大切です。


固有色

固有色=すべてのベース

appleimage
リンゴの赤、ホウレンソウの緑、といった、モノに備わった固有の色を
固有色と言います。
「モノに備わった」とは言っても、光の環境によって色の見え方は変わりますので、「そのときの光の状況」で感じる色味のことです。
たいていの場合、モノの明部(光が当たっている部分)の強く色味を感じる部分(ハイライトのように白く見える部分を除く)としていいでしょう。
上のリンゴのイメージから色をグレーに変換し、
固有色でべた塗りしました。背景も同じ処理をしています。

apple_localcolor_web
ビギナーは眼に見える部分のトーンをダイレクトにのせていこうとする傾向があります。これは例えばジグソーパズルのピースをはめていくようなものです。ジグソーパズルがゲームとして成り立つのは、ピースと全体の関係が見えにくい中で正しいピースを当てはめるというチャレンジがあるからです。
絵を描く時まで変なチャレンジはしなくてもいいでしょう。できるだけ早い段階で全体が把握しやすくなるようなアプローチをするべきです。
この固有色をこれから描写するトーンの「基準」とします。これと比較して濃いトーン、明るいトーンをのせてゆくのです。


グラデーション


グラデーション=トーン(調子の濃さ)を段階的に変化させること


「画家の腕前はこのグラデーションをいかに<階調豊かに>描きだせるかにかかっている。」

そう思い込んでいるケースが多いみたいです。
西洋古典絵画で描かれている人肌などを見ますと、なめら〜かに明るいところから暗いところに「グラデーション」してますね。
この 「滑らかさ=写実的」 という思い込みがクセモノでして、これにとらわれすぎると「古典的ななめらかな影」を描くことに何年もエネルギーを注ぐことになります。
「オカシイ、出だしは良かったのに 描けば描くほど絵が気持ち悪くなる・・・。」
私もこのワナに長いあいだ悩まされた一人です。

samsondelolah ルーベンス「サムソンとデリラ」1609 部分

もちろんルーベンスの達者は誰でも認めるところでありまして、ああ描いてはいけない、というつもりは全くありません。

実はオールドマスター達はトーンに関して、表面上見えるようには「複雑に」描いてはいない、ということなのです。