名前のないモノ

話を「絵」にもどしましょう。

私たちの認識への「観念の侵略」はテゴワイものです。
「名前」が付いているものはすべて要注意です。実体をシンボルとして「抽出」し、「名前」を付けたことで「知っている」つもりにさせられます。
シンボルは信号のように宙に浮いていますから、これは「目」です。これは「鼻」です。と、線でくくりたくなります。

「頭」と「首」の間にはどうしても境界線が欲しい・・・
「鼻」には柱の線がないと困る・・・
「髪の毛」は線の集まりだ・・・

(すべて観念の産物、左下の写真ではそれらの線はほとんど見えません)


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世界の、「実体」のありさまは名前の有無と無関係です。
私たちが「知っている」ことは「飛び石」状で、周辺にあるものがすっぽり抜け落ちています。でも本当はそこにはにぎっしり「実体」が詰まっているのです。
世界は「名前」をもたないモノの方が圧倒的に多く、これが多様性です。

この「多様性」をどう扱うか?・・・視覚を通じて探る具体的な手段、これが デッサンなのです!