絵画教室あとれす横浜の「考え方」




デッサン対角線分割法

「一生モノの知識」としてのデッサン力


絵が上手く描けるようになりたいと思っても、「自分は絵ごころがないから」といってあきらめていませんか? この「絵ごころ」とはおそらく、自然に身につけた感性もしくは生まれ持った才能といったものを指しているのでしょう。
たしかに、学生時代の美術の評価はそれらに左右されることが多ように思われ、運のいい人だけに与えられた資質、個人のものに見えるかもしれません。
しかし、そこであきらめる必要はありません。一般に美術のクラスでは、過去の美術作品やいくつかの画材に触れる機会を与えられただけで、デッサンに必要な知識は与えられてはいません。見よう見まねでは、うまくいかなくても仕方がないですね。
なぜ、絵に限って「教わっても、どうにかなるものではない」という考え方が浸透してしまったのでしょう? デッサンに限らず、絵画を描くのに必要な技術とは、シェア可能な「知識」であり、「みんなのもの」です。それは人から人へ伝えることができ、時代や場所に左右されない普遍的な「力」と言えるでしょう。
「あとれす横浜」では、まず「知識」を皆さんにしっかりと伝えます。そして、実際に絵画を描くという体験を通じて、具体的な画材の使い方を理解していただき、比較的短い期間での上達を目指します。図解テキストを用いて体系的にデッサンを学び、全ての画材に通じる基礎を身につけます。



水彩画 影の色温度

「画家の眼」で見る


私たちが日常生活のなかで何かを見る態度と、画家が絵画を描く態度には、明確な違いがあります。「画家の眼」とは、ただ漠然と見ているだけではありません。「画家の眼」を獲得するには、見ることに加えて論理的に「考える」必要があります。「よく見て、よく考えて」、ありのままのイメージの再現に努めましょう。自己表現ではなく、まずは再現です。再現しようと練習する過程で、見えてくる「原理」や「法則」が重要です。
練習の前提として、結果にはある程度の写実性を求めますが、必ずしも写真のような成果物(=表面的なコピー)が欲しいのではありません。眼に映るイメージを、意味のある要素に分けて理解し、それらを画面上で「再構築」できるようになるプロセスを重視します。再構築できれば、写真の拡大コピーとは違うもの(=あなたの絵画)が生まれて来るはずです。
古い見方から脱却し、画家の眼で見る力 が身に付くにつれて、あなたの絵画が専門性を獲得していきます。「自分にもできた!」その過程を目の当たりにするのは大きな喜びです。「今回はたまたま、うまくいった」ではなく、「そうだったのか」と理解できた喜びです。正しく理解できれば、何度でも同じパフォーマンスが可能となります。

私たちは「視覚」から多くの情報を受け取って生活をしています。絵を描く行為とは、「視覚」を通じて物事の本質にせまろうとする訓練に他なりません。教室という限られた空間内での訓練ですが、そこで学んだ内容は広く外の世界につながっています。絵画を描くことを通じて「なるほど、世界とはこう見えているのか!」と認識を深めることができたら、それは絵が上手くなること以上に意味のあることではないでしょうか。




木炭デッサン

「表現」とは何でしょう?


「ボリューム表現」「質感の表現」など、「表現」という言葉は描き手の意図があいまいなまま、やや乱用されている気がします。(本来、「再現」や「描写」と言うべきところに混同されている?) まずは表現という言葉に惑わされることなく、愚直に「理解した内容を画面に具体化させる」ことに専念してはいかがでしょうか。他者に内容を伝えるためには、まず自分が何をやっているか自覚している必要があります。シンプルなデッサンで構いませんから、鉛筆のストロークの一つ一つ、自分のパフォーマンスの全てを説明できる状態を、描き初めから終わりまで維持できるようになりましょう。誤った先入観や思い込みを取り除くためには、科学的な態度と訓練が必要です。なにやら難しそうな話に聞こえるかもしれませんが、大丈夫です、数学や物理と違って、目の前に「見える」ものの話なのですから。

しばしば「個性を大切に」といわれますが、世間でなんとなく「個性」と呼ばれるものは、じつはビギナーの知識や練習の不足からくる「くせ」であることが多いものです。自由に描いているようで、じつは「くせ」に縛られているとも言えます。「個性的ないい表現だね、」と指導者に褒められれば、最初は嬉しく感じるかもしれません。しかしそこに止まってしまっては、どこか子供扱いされているような、「本当にこれでいいの?」という疑問がわいてくるのではないでしょうか。
「表現」とは、確かな技術と、感情などの発露が一体化したものだと考えております。本当の意味での感性や個性、もしくは思想的なものは、いちど「くせ」から自由になった上で、いつか必然的に画面に出てくることを期待すればいいのではないでしょうか。

自己表現の追求は自分探しの旅のようなもので、いつか教室を離れても、そこからさらに長い道のりを歩くことになります。行き当たりばったりや、他人の意見に振り回されて消耗するのではなく、自分で論理的に筋道を立てる力が試されます。
それは一生を通じて「お宝」を一つ一つ掘り起こしていくアドベンチャー。驚くほど豊かな人生があなたを待っています。




つづく→ 
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