日常の風景(その1)

観念で構成された日常はどんなものでしょう?
身の回りのレッテル、シンボルをいくつか探してみます。

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信号機:
私たちが問題にするのは「アカ(=トマレ)」か「アオ(=ワタレ)」のどちらかです。
「アカ」が意味するものは「トマレ」だけです。「気をつけて渡れよ」とか「半分だけ渡ったら」といった解釈は反社会的とされます。(点滅や黄信号もありますがこれらは「イソゲ!」ではなく「トマレ」に含まれます)
本来人間はどこでも自由に歩き回る権利を持っているはずなのに、これを無視したらはねられても文句言えない(?)ことになってます。
さらに信号機の取り付け部の構造や発光の仕組みなどはどうでもよい、いちいち気にしてられない。
求められるのは「素早く判断する」ことだけです。


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絵文字(サイン):
たとえば「トイレに行きたい!」という非常事態。問題となるのは「それがどこにあるか」であって、サインのデザインが良い悪いとか、取り付け位置がどうのこうの考えるのはその道の専門家だけでしょう。(さて、このサインをそれまでに見たことがない人はいったいどうするのでしょうか?)
求められるのはサインに従って「素早く用を足す」ことだけです。


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自動発券機:
「お腹がすいた。いつもの定食屋で・・・」
「食事をする」という行為と「お金を入れてボタンを押す」という行為が見事に関係づけられています。

これは訓練によって猿でも覚えることができますが、このシステムになじみがないフランス人(例えば、です)は食事にありつけません。
求められるのは後ろの人を苛つかせないように「素早くチケットを購入する」ことだけです。